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まず「ルミとマヤとその周辺」という作品を始められたきっかけは? |
【ヤマザキさん】:
(以下Y) |
今、私はポルトガルという国に住んでいるのですが、とても古いものを大切にする国で、家でも店でも新しくするとかえって流行らないというところがあって。すごく古くてぼろくて、裸電球1個のお店とかが普通にやっているわけです。なんだかとっても昭和の空気なんですよね。国全体が。そして人も。人情深かったり。あと、ポルトガルって鰯とか鯵とか青魚を好んで食べるんですが、道の真ん中で平気で七輪みたいなのを出して焼いていたり。そんな環境にいると、建物も人もポルトガルなんだけれど、妙に昔のことばかり思い出す毎日になってしまい、思い出すたびに「忘れたら嫌だな」という思いが強く湧きあがってきて。
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ご自身の少女時代ということですか? |
| 【Y】: |
そうですね。そして、それを見てみたいと思ったんですよ。その時代というのは写真以外なにも残ってないけど、もし漫画や映画なんかがあったらぜひ見てみたいなという気持ちがあって、でも手許にないし。じゃあ自分で描こうかなって。 |
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ということは、ルミとマヤのモデルはご自身ですか? |
| 【Y】: |
う〜ん。すこしずつ変えてはありますけど、シチュエーションはとてもよく似てますね。妹の名前はマヤだし。母がオーケストラでヴァイオリンを弾いていたのも同じだし。自分の性格はルミの部分もあるし、マヤの部分もあるし、そこらへんはやっぱりすこし違いますけどね。 |
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舞台はやはり北海道で? |
| 【Y】: |
なにも意識していなかったんですけどね。北の感じがしますねと言われて、へぇって思ったりするんですけど。でも実際、川で遊んだり、クワガタ採ったり。今も虫は大好きなんですけどね。ルミマヤとまったく同じことを北海道でしていました。 |
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ふたりでよくお留守番したり……。 |
| 【Y】: |
単行本の1巻にも出てくる預けられるエピソードもまったく同じでした。母が演奏旅行中には親類のおじいちゃんおばあちゃんの家で留守番していました。 |
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ヤマザキさん自身はヴァイオリンとかしなかったんですか? |
| 【Y】: |
しました。無理やりさせられましたよ。ピアノを4歳からやらされ、ヴァイオリンも5歳からやらされ。ルミマヤの中ではお母さんはとても優しいお母さんなんですけど、そこがぜんぜんフィクションだなというところで。実際の母は非常に厳しくて、途中で私はピアノもヴァイオリンもやめました。フルートもやらされましたし、楽器という楽器をやらされましたけどね。ピアノは中学校までやっていて、やっぱりやりたいなというのがあって、その後は独学でやりましたね。ヴァイオリンは、ものすごくハードにやらされたので爆発して、小3くらいのときにヴァイオリンを床にたたきつけましたね。ぶん殴られましたけどね、そのときは。
父は亡くなってますので、ほんとに女手ひとつで、スパルタ教育もし、自分の演奏活動もし、ただ同然でほかの子どもたちにヴァイオリンを教え、本当にすごいですよね。いったいどうなっていたんだろう、当時。よくやってたなって。今でもそうなんですけど、母の口癖が「まあなんとかなるから」って。
すごく留守番ばかりさせられるんだけど、子どもながらに「わあ、私ってなんかすごく信用されてるな」「すごく頼られてるな」っていうのがあって。それが長女にはすごく負担だった面もあったかなとは思うんですが。実際、妹も頼ってきますから。 |
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これから“ルミマヤ”はさらにどんなところを描いていきたいと思われますか? |
| 【Y】: |
まだ自分が出会ってきた、たくさんの忘れがたい人たちがいますので、その人たちを描きたいというのもありますし。先ほどお話したように、母が女手ひとつでということもあるんですけど、それ以上に自分がやりたいということに対して、どんなハードルも飛び越えて貫いてきた人なので。ただそれに伴っていろんなことも犠牲にしているわけですよね。結婚のことも楽器を続けることも自分の両親にはすごく反対されていたらしいので、勘当状態になってまで北海道に来た人なので、そういった母のことをすこし描きたいとも思います。
母はもともと生まれも育ちも神奈川の人なので、まったく関係ないんですよ、北海道と。おじいちゃんが銀行の人だったんですけど、そのおじいちゃんが銀行の自分のできる部下みたいなのと母をお見合い結婚をさせようとして。まずいと思った母がとっさにそのとき団員を募集しているオーケストラを探したところ、できたてのほやほやだった札幌交響楽団が団員募集していて、ちょうどいいからって北海道に逃げてきちゃったらしいんですよ。まだ北海道が開拓途中みたいだったときに。そして、そこで自分の分野や生活も開拓したみたいな。
さらにその後に、父親とは北海道で知り合って。父は指揮者をしていたんですが、同時にスキーのジャンプの選手もしてたという、大きくて北海道らしさ満載みたいな人だったらしいんですが。
とにかく母は自分が楽器をやりたいという思いだけで突き進んできた人なので。今も。今はさすがに年もとったので、教え業のほうに力を入れていますけどね。千歳から根室という遠い町まで、自分で車を運転して教えに行ってますよ。数人のこどもたちのために。「私が行かないとあの子たちが……」って。娘が継がなかったから、その分のストレスをお弟子さんたちに。 |
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では妹さんも音楽は継がれなかったんですね? |
| 【Y】: |
ええ。妹も同じようにされましたけど。調理師になりました。でも、今もハープは弾いています。私も大人になってから、ギターがしたくて習いました。だから、結局きっかけは作ってくれて、私たちもきちんと音楽離れはしていないということにはなりましたね。やっぱり楽器は自分がやりたいものをやりたくなったときに始めるべきだなって思いました。すごく熱心にやりましたからね。ギターは。子どものときにやらせるのもいいかもしれないけれど、それで基礎だけできれば「嫌だ」って言ったらやめさせていいんじゃないかな。本当に好きなら、また始めるので。勝手に。身をもって感じました。
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